微分不可能な動機

 

 これから自分のやることを決める、とか、今の仕事を続けるか、だとかそういったタイミングで使えそうなモノサシってなんだろうなとかずっと考えてたんだけど、おれとしては「楽しいかどうか」くらいしかないんじゃないかと思っている。おれは今就活中で面接とかあるし、「どうしてこれやってるの?」とかそういうこと訊かれた時のために夜中にいろいろ考えてみた(恥ずかしながら社会貢献という言葉も何度かチラついた)んだけど、べつにそういう社会貢献とかって、モチベーションを純化していくプロセスで絶対残らないような気がしていて、「やりたい理由はやりたいからです」くらいに自己目的化された頭の悪い回答が意外とベストなんじゃないかという結論にいたった。で、ほとんどの友人がこの春社会人になったし就職に絡めて話をすると、特定の会社に入りたい理由ってすくなくとも100%演繹的に説明することって不可能で、「うちじゃなくてもいいんじゃないの?」という質問に、「そんなことはない」と反論することって、「楽しいからやります」みたいなピュアな動機と必ず矛盾してしまうよなという話。

 

 個人的にやりたいことや楽しいことを軸に考えれば、案外それ以外って変数でしかなくて、そういう環境下では、大学を卒業しなければならないとか、どこかに就職しなけらばならないとか、そんな当たり前だと思われてる前提は成り立たないし、今おれは企業で働くことに興味があるし楽しそうだから就活をしているけど、そうでなければしていなかったとは思う(個人的にはその時やりたいことをやってきた人生だったとも思うし)。教養の格差は未だはびこれど、インターネットやAIの発達で知識の格差はだいぶ消えたこの社会、さらに言えば先代たちが築いてきた社会的インフラの恩恵で低所得でも幸せに生きることができるこの社会では、レールを外れる、みたいなことを気にせずに、自分のやりたいことに本当の意味で従順な、モチベーションと決断力の高い人たちがこれからの時代強いんじゃないだろうか。だから話は変わるんだけど、どちらかというと就職率をうんぬんではなく、「やりたいことがない」という人が多数いるという問題=大人になるにつれ好奇心失われ問題にどうアプローチするかという方が議論する価値はありそうな気はする。

 

 そこで過激かもしれないけど、就職しても楽しくなくなったらやめてもいいんじゃないかと思うようにしよう、と最近個人的には考えていて(まあこれが就職していった仲間たちに伝えたいことでもある)、楽しくないことに取り組み続ける人生の虚しさは計り知れないし、後々になって後悔するのも割りに合わない。自分は一体何をしているんだろうと路頭に迷ったときは、いろいろなことから少し距離をおいて、自分のやりたいことやモチベーションを可能な限り微分してみるのが有効で、おれがカナダに来たのも、半ばそれが目的だったりしている。留学以外にも、大学院に行ってみるとか、ニートやってみるとか方法はいろいろあって、要は例えばその「ニートやる=社会的落伍者」みたいなバイアスをいかにかけずにいられるかってことだと思う。

 

 自分の頭の整理用に書き殴ったんだけど、最近社会人になった人にとって少しでも参考になることを祈ってブログに掲載する。おわり。